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西村善徳からの手紙-2006年1月〜6月-


2006年6月2日(金)生姜の芽が出てきました

 
昔から田植え歌を聴くと生姜の芽が出ると云われてきました。

  最近は田植え歌ではなく田植え機のエンジンの音しか聞こえませんが、生姜は時代の流れを知っていてエンジンの音でもちゃんと芽を出してきます。

  雑草を抑えるために黒いマルチを張っていましたが、芽が出てきましたので、マルチを切って芽の出るところを開けました。

これからは敷き草を敷いて雑草対策をする予定です。


2006年5月22日(月)生姜も牛乳も同じ運命です

 
生姜畑から帰ってみると北海道の酪農家から牛乳が送られていました。政府はあの手 この手で補助金をぶら下げ酪農家に規模拡大を進めてきました。しかし、儲かったのは資材を提供した企業で、まともに信じた酪農家には膨大な借金が残りました。
  多頭飼育により増産された牛乳は生産過剰の名の下に産業廃棄物業者の手により廃棄されてゆく。北の果てから送られた牛乳にこめられた生産者の気持ちを思う時牛乳がのどに詰まりました。 政府に踊らされ規模拡大に活路を見出そうとする農民に非情な仕打ちがやるせない思となってこみ上げてきました。

米農家も同じ道をあゆんでいます
  昭和20年代から1俵増進運動に踊らされ水田を開墾し農民は米を作りました。一方都市の消費者は大きな風呂敷に着物を包み米と交換に来ました。衣類が不足していた農家は米と交換しました。やがて統制を破り闇米に流したと警察にパクられました。米不足の時代にも農民は儲かりませんでした。
         
政府の進めた水田整理
  政府は水田の規模拡大を進め、水田の大規模化を勧めてきました。
次に待っていたのは、「工事費の負担金は払え、米は作るな」と云う減反政策でした。
米以外の作物で負担金を支払うべく生姜を作ったら、今度は生姜を海外から輸入して、「価格競争に勝てなければ農民の経営努力の不足だ」と耕地整理の負担金の支払いを迫って来ました。
  農業者年金で支払うべく手続きしたら「契約時の条件では支払いできない」とのこと。何でも年金がパンクしたそうです。仕方なく生姜を作って支払うべく転作したら、今度は生姜を輸入して「悔しかったら価格競争に勝て」ときた。かくして輸入生姜が主役となってしまいました。

北の大地の酪農家の思いとの共通点
  その時々の時代の流れの中で適当に踊らされてきた農民を「無知のなさしめる結果」と片付けてしまえば実もふたもありませんが昭和20年代一億総飢餓の時代に日本人の生命を守ったのはこの無知な農民だったことを行政は忘れたのだろうか。

  北の大地の酪農家と四万十の山奥の農民とは距離はとてつもなく離れています。しかし苦しみや悩みは共通しているとミルクを呑みながら思いました。エリ−ト意識の強い役人には農民の気持ちは理解できないと思いますが、せめて消費者は国産生姜と共に、牛乳をもう一本多く呑み、農民の叫びの理解者であってほしいと願わずにはいられません。


2006年5月18日(木)ついに梅雨に入りました。

  四万十源流域は気象予報より一足早く梅雨に入ります。これから7月中旬まで雨季が続くのです。昨日源流に向かう中国の若者と出会いました。中国の農村は貧しく親は子供に「大きくなったら都会に出るよう」に言い聞かして育てるそうです。

  農村に後継者が育たなくなれば食料輸入国になるのでは?と言ったら"工業化"が進んでいますから?とのこと。

  食料を輸入して飽食に浮かれていますが、日本が飢餓難民になる日がもうそこまで近づいているように思えてなりませんでした。

  大分前になりますがNHKで食糧問題についての討論の時「もし日本が食糧危機になった時にどうする」との問いかけに、「農村に友達を持つことだ」と答えていたことがありました。農村とパイプを結んでいること つまり産直にしか解決の道が無いとすれば悲しいことだと思います

 日本の観光地が、韓国や中国の若者であふれている姿を見る時経済戦争に日本が生き残れる道はあるのか不安になりました。

  生姜よりも米を作らなければならない時代がくるかも知れません。その時日本が経済戦争の敗戦国となるのです
 

2006年5月15日(月)四万十川のアユ漁が解禁となりました

 
5月15日より竿釣り漁が解禁となりました。でも期待は出来そうにありません。水温が低いために、アユたちには快適な環境ではないようです。

  最近は川の両岸がちょっとでも崩れようものなら、すぐに近自然工法の名の下にブロックや石積みにより護岸工事が行なわれます。
そのため魚たちが身を隠して休める場所がなくなりました。子供の頃はこの魚たちの隠れ場所を襲って捕まえたものでした。今は川で遊ぶ子供の姿を見かけることはなくなりました。

  また手入れされない人工林に覆われた山からは豊かな水量を期待できなくなりました。 最近の川は、のんびりと流れることを忘れ、先を争うように急いで流れてゆきます。

  結果として水温は年毎に下がり、アユ漁はは期待できなくなりました。解禁時期を遅らせなければ解禁しても期待できなくなりました。

2006年5月4日(木)生姜の植え付けに取り組み昨日やっと終わりました。

四万十源流近くの畑に植えつけました。生姜は連作を嫌いますので,新しい畑に植えつけて行く必要があります。今年はついに四万十源流点近くの畑を借りて植えつけました。

生姜畑に行く途中の四万十川源流近くの新緑に包まれた風景です。

四万十源流の生姜畑で植え付け中の作業風景です。

絵の具を溶いたような新緑に包まれた風景と小鳥の鳴き声を聴きながら生姜の植え付けをしました。「無農薬で育つのか」、山郷の皆さんに注目されていますので変な緊張感があります。
衰退する過疎の集落に何らかの刺激になればと思って取り組んで行きたいと張り切っています。


2006年4月24日(月)さてこちらは生姜の植え付の、真っ最中で〜す。

6月にはこの種生姜から芽が出てきます。
昔から生姜は「田植え歌が聞こえる頃」にならなければ芽が出ないと言はれてい ます。
でも最近は機械で田植えを行ないますので、田植え歌の流れる情緒は無くなり ました。

乾燥と寒さから生姜を守る為に念入りに土をかぶせてゆきます。 生姜は田植えの始まる頃まで土中でひたすら発芽を待つのです。

種生姜を並べて植え付けしているところです。

植えつけた生姜に土をかぶせているます。


2006年3月15日(水)昨日の雪がうそのよう
雪の昨日がウソのように暖かい春の日差しが桜の開花を促しているようです。

チェーンが必要だった山間部の天気が一日でポカポカ陽気になるんですからウグイスもあきれて鳴かなくなりました。

2006年3月14日(木)雪のため生姜畑の整地が出来なくなりました
 今朝は南国高知も雪になりました。3月14日だと言うのに〜〜〜〜ウグイスもあきれて一声も歌いません。

  生姜畑も 写真のように雪に埋もれました。畑に入れる予定でわらを配っていましたが、ご覧のように雪をかぶっています。

  それでも3月には畑の整地を終わり,4月上旬には生姜を植えつけなければなりません。僕たちにとっては春の雪は招かざる客ですね。

  生姜は中国産が国内産より多く支配するようになりました。生姜だけではなく野菜もス〜パ〜に我が物顔で並ぶようになりました。報道によると中国は急激な工業化により、地下水や飲料水が汚染されて深刻な問題になってきているようです。わが国では汚染された水は海に流れ魚を通じて人体に入りました

  日本が経験した水俣問題を提起しても一旦弾みのついた工業化の流れは止めることが出来無いようです。日本人は汚染された水で生産された農産物を食べているのです。生姜を薬用に使う目的の人から注文が来る意味がわかるような気がします。

  もっと日本の農業を大切にしなければ明日の、日本が危ないと生姜畑で感じながら今年もまた生姜との格闘が始まりました。


2006年2月2日(木)町村合併

  1月29日より岐阜 富山方面に行ってきました。雪の兼六園を見たかったのに雨となりがっかりしました〜〜〜〜。

  合併で村が消えることは,堀江もんの論理を肯定することに通じているように思えてなりません。大は小に勝り、物の豊かさは心の豊かさに勝る論理の前に先人たちが築いてきた村社会の美しさは消え去るのでしょうか。

一方合併は村社会に生きる私たちが望む姿ではありませんが、忍び寄る過疎の恐怖には勝てませんでした。

  村では1年に1人生まれて30人死亡しています。この数字には勝てませんでした。

  やがて生姜を作ろうにも労務を提供してくれる人はいなくなりそうです。
食料を輸出していた国が輸入国となり、気が付いてみれば日本に食料を輸出できる国はなくなり、高齢化社会と共に食糧危機がそこまで忍び寄ってきているように思えてなりません。

  常に成長し続けなければ、行き詰まる工業化社会の姿が今回のライブドアなのです。

  自然との循環型産業である農業が、いかにすばらしい産業であるかをライブドアは教えてくれているように思いました。

  金では評価できない自然の贈り物にまさる富はないように思いましたが堀江もんさんにはわかっていただけないでしょうね。


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