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西村善徳からの手紙-2005年1月〜6月-


2005年6月5日(日)有機農業振興を願う生産者の懇談会が開かれます。

日時 6月10日午後1時30分から4時ごろまで
場所 高知県農業技術センター 3階会議室
細部についての
問い合わせ先
088-880-0701

何故今 有機懇談会を開くのかについて

 70年代後半より様々な可能性を秘めて全国各地で有機農業運動が展開されました。

 以後30年余を経過しましたが、有機認証制度やガイドライン表示制度が我々生産者に浸透し理解されて来たとは思いません。

 これらの制度の必要性は理解しますが、これらの制度は、有機生産物の国際流通制度の円滑化のための制度であり、決して国内の有機農業を育てるための制度としての理解は出来ませんでした。

 日本の農民を縛る新しい制度ではあっても、日本農民を育て支援するための制度ではありませんでした。

 涙が出るほど苦労して習得した有機認証を返上したのも、農民をしばり、取り締まるための制度に農民としてあえて反旗を掲げざるをえなっかたからなのです。

 農民を縛る有機と言う紐の先を消費者に持たせ,その影で有機農産物の国際化に進み、年々輸入有機農産物が増え続けてゆくことに耐えられないものを感じたことでした。

 農業に希望を失った若者は村を去り,鍬を杖の代わりにして田畑をあるく老人しか見かけることの出来ない農村になりました。その影で企業が農村に入り農業を嫌って就職した若者を使って生姜や園芸作物の生産を行なうようになりました。

 政府の期待した理想農村の姿に変身しています。
小規模農家を切り捨て、農業に見切りをつけた若者を採用して企業は大規模農業に進出してきています。

 有機認証制度の影で、わが国は大規模農家だけを優遇する政策に進んでいる結果と云えばそれまでですが やりきれない感情を禁じ得ません。

 僕たちには難しいことは解りません。

 ≪ホタルが飛び、水路でメダカを追う子供の声がこだまする田園風景≫を取り戻したいそんな願いをこめて、今一度「有機」の原点を語り合い新たなネットワ−クづくりを龍馬の里高知に立ち上げたいと思う農民が本音で語り合う会を目指して開かれると思いご参加を呼びかけたいと思います。

 愛知万博に行ってきました。名古屋はさすが日本の中心県ですね。
 僕が遊んでいたウ〜〜〜十年前と比べたら びっくりですね。昔だって日本のデンマ〜クと云れていましたからね

こちらは今は皆さん田植えも終わり割とノンビリしています。僕の方は昔ながらの手で田植えを行なっています。ホタルはまだ飛んでいません。

 昔は梅雨にはよく雨が降りましたのに、最近はあめが少なくその上さっぱりと
した天気が続いています。
 うっとしい蒸し暑い天気にうんざりしたものですが、今は快適な梅雨になりました。それでも6月下旬になれば、サウナにいるような土佐の梅雨と成ります。


2005年5月23日(月)大野見村風景
 

ゆっくりと回る水車で水を汲みながら田植えが進められています。ノンビリした光景です。
やがてこの水車の周りにはまもなくホタルが飛び交うようになります。

スイレンの手入れをしている光景に出会いました。
休耕田を利用して植えていますが、別に売るわけでもなく奥四万十を訪れた人が喜んでくれたらそれでいいんだそうです。

ノンビリと沈下橋上流でアユつりをしている人に出会いました。
高松から一人でこられていました。


2005年5月17日(水)田植えが始まりました。

 手植えで行なう予定です。
今は機械で田植えをする時代ですが、手で昔ながらの田植えをする予定です。

 NHKで大野見のアユつりが全国放映されましたね。
毎朝6時半ごろ放送されましたが、放送はだんだんと下流に移りますので、大野見は本日で終わりかと思います。
 

2005年5月15日(日)四万十川のアユ漁が解禁になりました
 
 四万十川上流で竿つり漁が解禁となりました。でもまだ水温が低く、あまり期待は出来ないと思います。大野見村では中心部の奈路地区から上流で期待できそうです。

自然に任せられない自然工法

 四万十川は多くの支流によって水量が保たれています。その数4万10とも云われています。昔はこの支流の水は、蛇行しながらゆったりと流れて本流にたどり着いていました。だから魚たちには快適な水温でした。しかし今は自然工法と云う名の下に支流の川岸はどんどんセメントの構築物となっています。

 水は先を争うように下流えと流れゆくようになりました。魚たちが休んだり,外敵から身を守る「がま」はセメントブロックになりました。山には防災を理由に堰堤が作られました。結果として本流の川には石が流れ込まなくなり、川はやせてしまいました。
川岸の底がチョトでもえぐられたらそれとセメントブロックで固められてゆきます。

アユも育ちにくい川になりました
       
 水の流れが速くなることは水温が上がりにくくなりました。魚は水温には敏感なんです。

 その上アユの大好きな岩のりが育たなくなりました。水温が低く、好物の餌も育たない川にはアユは育ちません。災害に対する人工の手助けも否定はしませんが、少しオセッカイが過ぎるように思えてなりません。
 

2005年4月29日(金)生姜は植え付けが終わりました。

 生姜の植え付けはようやく終わりました。後は病気が発生しないことを祈るのみです。

 消毒が出来ないので、病気が発生したら手も足も出ません。それに畑に入ることも出来なくないます。病原菌を足につけて媒介する危険があるからです。勿論見学者が畠に入る事は厳禁です、皆病気にはピリピリ神経を使っています。

農家や消費者のためより企業の保護を優先する政策?

 今高知ではピ〜マンに登録外農薬が使われていたとして問題になっています。
この農薬はナス トマトには使っても良い農薬です。同じナス科でありながら、なぜピ〜マンにはつかってはいけないのか。

 ナスやトマトに使われた場合は安全でピ〜マンに使われたら出荷停止になるのかさっぱり理解できません。こうした例はニラなどにもあります。
消費者の立場よりも企業サイドから見た安全基準から決められた規制のような気がしてなりません。

 規制農薬を使った農家を援護する心算はありませんが,同じように虫にやられた場合ナスを消毒したついでに隣のピ〜マンを消毒したくなる農家の気持ちは察するに余りあります。

 だから使用規制するならナスにもピ〜マンにも同じ規制で農家を指導すべきだと思うのです。同じ農薬でありながらナスに使えば安全でピ〜マンなら危険だとする基準はどんな根拠の元に設定したのか、関係機関の説明を待ちたいと思います。

 説明できる方がいましたらご指導くださいませ
 

2005年4月10日(日) 生姜の植え付けと桜の季節

 桜が咲いても花見も出来ず,生姜の植え付け作業に追われています。作業をしている傍を若者が四万十源流を目指して通り抜けてゆきます。

 「歩く人」「オ−トバイで駆け抜けてゆく人」 さまざまですが、人の遊ぶ時遊べないで、桜の花見をすることも出来ず、収穫の約束も保障されない自然相手の生姜の植え付けに追われているのです。パッと咲いて後は休める桜がうらやましくなりました。

歩くことの大切さ

 昔から歩くことは心身の健康管理の原点であることには変わりは無いと思います。

 桜並木の下をお遍路さんが歩いています。弘法大師さまと同行二人の人や、グル−プの遍路さんと人さまざまですが、時には一緒に歩きたい衝動にかきたてられることもありますが、生姜に縛られて意のままになりません。

 生姜と離縁してノンビリしたいと思うときもあります。でも期待してくださる人がいる限り仕方ないことかも知れません。

脱藩の道を歩く人たち

 歩く人たちはお遍路さんだけではありません。四万十川源流には、幕末の志士龍馬の歩んだ≪脱藩の道≫があります。

 この脱藩の道にも桜が満開です。この龍馬さんが通った道をウオーキングする人たちも遍路さんとは違った旅を続けています。
 先般も全国から集まった200名近くの人達が「幕末の志士の心意気」を体感すべ四万十川奥地に記されている「脱藩の道」を歩かれました。この道140キロを6日間かけて歩く旅は、自然そのものを体感できる旅でもあります。

 生姜の植え付けが終われば 幕末の志士の心意気に触れる程の心境にはなれなくとも、≪沿線の自然と暖かい住民の方達とのふれあい≫から忘れられている何かを学びたいと思っています。

 一緒に歩いてくれる人はいないかな?そんなことを考えながら生姜畑での格闘が始まりました。
 

2005年2月25日(金)農作業をしながら

 昔は米が絶対的価値を持っていました。しかし時代は大きく変わりました。今村は大変なんですです。統制価格保障の時代から自由経済の時代に入りましたが、さらに売れても作らない時代になりました。
 
 子供と食料は行政に進められて生産?するものでないことは戦前の日本の歴史が証明して余りあります。昔は百姓は馬鹿でも出来ると言われきましたが、今この馬鹿でも出来る百姓が反旗をひるがえす時代になりましたのでややっこしくなりました。

 昔は国策に従い子供と軍馬の生産に励みました。今は過疎対策とかで「子供をつくれ」と行政はあの手この手で若者の尻をたたきますが、農村に増えたのはイノシシだけでした。いかに食料危機が来ても、いかに人口問題が深刻になっても、農村の責任ではないのです。

 国策に忠誠を誓うには農村の文化があまりにも進化し過ぎたようです。しょうが畑で誓いました。"ヤミに米を売って非国民とののしられ生産過剰になれば自由に販売しろ"と行政は農民に押し付け転作を強制してきました。それならと、米から生姜の生産に切り替えたら、今度は外国から生姜を輸入し、「文句があるなら国際競争力をつけろ」とそっけない態度です。

 百姓にだって意地があります。「どんなに食糧難の時代が来たって生姜畑に米など作ってやるものか」そんなことを云いながら今日も生姜畑に鶏糞を散布しています。鶏糞あげます。自家配の餌で開放鶏舎で完全発酵した鶏糞があります。今僕はこの鶏糞を生姜畑に入れています。薬品を使わないで生産している養鶏場の鶏糞が必要な方は取りに来てくだされば無料で差し上げます。
 

2005年1月5日(水) 謹賀新年

 
新年お目でようございます。あったかいかと思えば雪がちらついたり、どうなってんのと頭を抱えたくなります。

正月早々住民投票です。
 自立を選んで地方切捨てに反旗をひるがえすことが、小泉のためにも日本の将来のためにもなると思うんですが?

 自衛隊と言う戦力無き軍隊がアメリカの後ろに隠れて銃の引き金に手をかけている姿を想像すると合併して何が救われるのか、さっぱり先が見えてきません。

 1月16日投票と決まっていますので,今は選挙の真っ最中です。どうなろうとも、行き着く先は村の崩壊しか見えてきません。いま必要なのは合併の向こう側で小泉が牙を研いでいる地方切捨ての改革に「どう立ち向かい、村社会を守ってゆくのか」だと思います。

 そんなことを考えながら住民投票に背を向けて早くも生姜の畑つくりに有機肥料の散布が始まりました。

 

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